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不幸なことにも

生きていれば、よくないことは誰にでも起こる。失業、離婚、事故、病気など、今は関係ないようなことも、いつ、どんな災難が降りかかるかわからないもの。
 
大きな不幸は、取り返しがつかないため、何をしても、すぐに好転することはなく、不安で心が締め付けられる。どうにもならないとあきらめ、絶望すれば、死んでしまいたくもなる。

しかし、不幸は、人によって深刻に受け止める度合いが全く違う。もうダメだとあきらめる人もいれば、このくらいならまだ大丈夫という人もいる。
 
不幸なことも、ただ深刻に受け止めれば、気持ちはどこまでも落ち込んでしまう。確かに、不幸な出来事は、どこから見てもいいものではないが、見方を変えれば、救われる部分を必ず持っている。
 
仕事で問題を起こし、失業することになったとしても、病気でどうにもならないことに比べれば、まだまだいろんな可能性がある。もっと自分に合った仕事を見つける、いいキッカケになるかもしれない。
 
深刻な病気であっても、今日明日、死ぬわけではない、まだ時間があると考えることができれば、やれることはある。死んでいなければ、どうにかなると考えることはできる。

落ち込んだ状態で、事態を好転させるようなアイディアを考えることは難しい、なんとかなるさと考えられれば、チャンスは生まれる。
 
人は、追い詰められるからこそ、今までとは違った新しい方向、自分を見つけることができる。

取り返しがつかないことは、なかったことには誰もできない。しかし、以前と同じようなカタチには戻れなくても、別のカタチでやり直すことはできるはずだ。

タグ:不幸
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なりの生き方

他人と比較して、うちはどうしてダメなのかと考える人がいる。中でもよく言われるのが、自分の息子、娘と友人に関する学歴や仕事の話。友人が、一流大学を出て、大企業に就職すれば、親は大きなジェラシーを感じることになる。
 
このとき、忘れがちなのが、親の存在。子供の学歴というと、子供が一人で一方的に頑張ればどうにかなると思われがちだが、そんなことはない。

親が教育に関する知識があり、好んで学習する環境を整えなければ、いくら同じようにお金をかけたとしても、上手くいくものではない。両親が全く別の方向を向いていれば、子供に不安は伝わり、学力にも悪い影響が出るもの。 

親が賢いからこそ、子も賢くなる。現在の子供の姿が、育てた親の技量、実力と言えるかもしれない。まれに、どうしてこの親からこんな子供がということがあるが、親が悪い手本となり、それがいい影響として現れることもある。

では、高学歴、大企業に入ることが成功するいい人生かというと、それは、学歴がある人の生き方。そうではない人にも、その人なりの生き方がある。

飲食店や美容院をチェーン展開する社長には、高学歴ではない人が多い。この人達が、高学歴で大企業に勤める人に比べ、収入や社会的ステータスは下かといえば、そんなことはない。
 
世の中には、学歴が影響する分野と影響しない分野がある。学歴がある人はある人なりの、学歴がない人にはない人なりの成功する道がある。

道が二つに分かれているのに、学歴がない人が、高学歴の道を歩もうとすれば、事は上手く運ばない。それは、そういう仕組みになっているのだから、仕方ない話。
 
一方の道だけが、輝かしい、成功する人生ではない。人には、どんな状況からでも成功する道が、必ずどこかにある。誰かをうらやみ、落胆するより、息子や娘が成功するかもしれないと親は信じて応援するべきではないだろうか。

タグ:生き方
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才能はある

最年少で賞金王になったプロゴルファー 石川遼(18)など、才能豊かな人を見ると、うらやましいと思う反面、ジェラシーを感じる人もいるかもしれない。

才能は限られた人にしかないかといえば、そんなことはない。才能とは、生まれつき持っている能力。誰にでも個性があり、物事に対して向き不向きがあるのだから、才能はある。

その生まれもった才能と、自分が現在行っていることが上手くかみ合えば、能力が発揮でき、経験が浅くても、周りより上手くできる。ただ、才能だけで、誰にも負けない能力が発揮できるかといえば、そんなことはなく、それに磨きをかけなければ、人並みで終わってしまう。

楽して、一流になることはできない。ただ、才能と行動がかみ合えば、いい結果がでやすいだけに面白く、それが好きになる。好きなことに対して、努力は辛く感じない、だから、どんどん成長できる。
 
問題は、自分に、どんな才能があるのか。感覚だけで判断できれば、いずれ自分の才能がわかるのだが、大人になればなるほどお金などが頭にちらつき、感覚が鈍くなる。
 
才能があるから好きになることがあり、自分が好きだと思うことの中に、才能と結びついているものがある。もし、今、好きなものがなければ、子供の頃に好んでやっていたことを思い出せばいい。才能は生まれ持ったものだから、子供の頃に、何を好んでやっていたかを考えれば、才能を見つけることができるかもしれない。

誰にでも、誰にも負けない何かが必ずある。才能がないと感じるのは、今やっていることが才能とかみ合っていないだけだ。
タグ:才能
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元気がないなら

生活していれば、元気が出ないことはたまにあるが、理由がないのに慢性的に元気がでないという人がいる。

体調が悪く、病気で元気が出ないなら、はっきりとした理由があるだけに、一時的なものだと納得できるが、それがないと途端に不安になる。
 
元気が出ない状態が、長く続けば、次第に体調も悪くなるだけに、体が悪いから元気がでないというカタチに結果的になってしまい、もともとの原因がわかりにくくなることもある。
 
なぜ、元気がでないのか。面白いと感じ、笑うことがないから元気がでない。笑えば愉快な気分になり、元気は次第に沸いてくる。
 
問題は、面白い、可笑しいと笑えるものを増やすことができるか。しかし、誰もが笑う面白いことというのは、なかなかないもの。
 
人それぞれが持つ感覚で、面白いか面白くないかは決まるだけに、同じお笑い芸人のネタをみても、お腹を抱えて笑う人もいれば、笑えない人もいる。

そのときの気分でも違い、心配事や悩みがあれば、そちらが気になり、なかなか笑えない。怒らせることは、不愉快なことを言えばいいのだから簡単だが、人を笑わせるというのは意外に難しい。

何でも面白いと感じられる人を、うらやましいと思うかもしれないが、面白くなくても笑うことはできる。頬を上にあげ、笑ったふりをすればいい。

心の中の喜怒哀楽は、勝手に表情にでるのだが、この逆も成り立つ。笑った顔をしていれば、面白いことがあったに違いないと感じ、笑ったときと同じような気分になる。
 
笑った顔をして、声を出し、身ぶり手ぶりを加えてみれば、その効果は大きい。恥ずかしければ、声は出さなくてもいい、笑ったときの顔のカタチをつくるだけでも大分違う。
 
笑ったふりでも、元気は取り戻せる。元気になれば、いろんな展開が期待でき、前向きな人生につながる。

作り笑いでも、笑う門には福来る。

タグ:元気
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美人かどうか

『美人は得』とは、よく聞く話。美人は何を着ても様になり、周りの異性からは何かと気にかけてもらえる、そんなイメージがある。主に女性に対して使う言葉、美人を美男子に置き換えても、その意味に大差はない。

自分も美人に生まれればと考える人がいるが、女性が考える美人とオトコが考える美人は違う。女性が、この人は美人と太鼓判を押す人も、オトコからすれば、そうは見えないことはよくある。
 
同性と異性では、見え方が根本的に違う。性的な魅力をどこに感じるかという点でも、女性と男性では立場が全く違うのだから、同じ感覚で見ることはできない。

男女の違いでも見え方は大きく違い、さらに個々が持つ好みが加わるのだから、誰が見ても美人という人はいない。好きな人が見れば、誰だって美人に見えるだけだ。

目標として、こんな人になりたいと思うことは素晴らしいが、絶対的な美人が存在しない以上、かなわないと落胆する理由はどこにもない。
 
自分自身が持つ魅力に気づき、自信が生まれれば、知らず知らずのうちに、誰から美人と思われるようになるに違いない。

タグ:美人
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辛い思い出も

昔の辛い出来事を思い出し、あそこはこうすればよかったと後悔を繰り返してしまう人がいる。記憶と一緒に、当時の気まずい雰囲気、気持ちがよみがえる。それが、数年から、10年、20年前と、時間がどんなに過ぎても、思い出せてしまう。
 
嬉しい記憶、楽しい記憶よりも、辛い記憶の方が、強い感情と結びついているだけに鮮明で、不愉快になるのが分かっていながら思い出してしまい、さらに強く頭に残る。

この記憶、当時と全く同じ印象を忠実に記憶し、繰り返し思い出しているかといえば、そうでもない。思い出しては、こうだったに違いないと、ありもしない話になることもあり、カタチがないだけに、不安定なもの。
 
悪い記憶をどうにかするには、漠然と当時の記憶を感じれば、以前と同じ気分になるが、立ち止まり、当時の状況を現在の感覚で考えてみれば、違った解釈ができることもある。
 
例えば、昔、学校で恥をかいたことも、当時は、顔が赤くなるほど恥ずかしかったかもしれないが、学生から社会人になり、振り替えれば大したことじゃないと思うことはよくある話。

直接、記憶を変えることはできないが、そのときに感じた感情は変えることができる。記憶は、感情と強く結びついているのだから、その感情を変えれば、記憶の重みも変わってくるはずだ。

辛い思いをするのは、そのときだけで十分。誰に責められるわけでもないのに、勝手に思い出し、辛い思いを繰り返すのは、憂鬱になるだけじゃないだろうか。

タグ:辛い思い出
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孤独なようで

自分だけが取り残されていると不安になり、孤独を感じるときは誰にでもある。特に、クリスマスイブには、幸せそうな人ばかりが目に付き、嫉妬したり、憂鬱な気分になるかもしれない。

街を楽しげに、二人で歩く姿を見ただけで、どこかうらやましい。一人でそんなことを考えていると、寂しい気持ちがつのり、いたたまれない気分になるかもしれない。

自分一人が、そんなことを考えていると思えば、余計に辛くなるかもしれないが、集団の中にいたいというのは、人間にとっては当たり前の欲求。脳科学などでは、人間の三大本能の1つに数えられる集団欲、誰だって一人だと感じること。
 
歩いている人達を見ても、二人、三人で歩いていれば目立つが、よくよくみれば、どこかに行くついでか、仕事の帰りか、一人で歩いている人も結構いるもの。目立つから、みんな楽しそうだと思ってしまうだけで、実際は、そうじゃない人もたくさんいる。

孤独とは、ひとりぼっち、思うことを語れる人、心を通い合わせたりする人がなく、寂しいこと。みんなで一緒にいても、打ち解けて、心を通い合わせることができない人もいる。そう考えると、孤独かどうかは心の状態だから、集団で歩いていても孤独じゃないとも言えない。

孤独は、見た目ではわからない。家族や友達、彼氏(彼女)と一緒でも、心の中では孤独を感じているかもしれない。孤独なのは自分一人じゃない、そう思えれば、孤独ではなくなるかもしれない。

タグ:孤独
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なぜ、勉強しなければならないのか

学生にとっては、なぜ、勉強しなければならないのか?と聞かれれば、答えに困る大人は多い。勉強しなさいというのは簡単だが、勉強したくなるように感じさせるのは難しい。
 
将来の目標として、なりたい者があり、そのために勉強が必要であれば、勉強へのモチベーションは保てる。ただ、そう誰もが、なりたい者があるわけはない。むしろ、なりたい者がない方が大半ではないだろうか。
 
勉強というと、いろんな教科があるが、好きな教科はごく一部、それ以外は、興味がないもの、苦手なもの。好きな教科、嫌いな教科にかかわらず、どんな教科でもいい点が取れれば気分はいいが、簡単に点が取れないのも確か。 

親として、勉強しなさいとよくいうが、では、過去に勉強したであろう親が、子供の宿題を解けるかといえば、小学生ぐらいならどうにかなっても、中学、高校となれば、考えたり、頭を悩ませるはず。自分ができもしないのに、『勉強しなさい』と上から言っても説得力はない。

そこで、大人になって振り返れば、学校で学んだことが、実際の社会でどれほど役に立っているか、直接的にはそれほど役に立つものはない。では、全くのムダかといえばそうでもなく、勉強することで、問題を解決するための忍耐、考える力は養われる。

しかし、そのために勉強しなさいでは、結果として、そういうものが備わるだけで、それを理由に勉強するという意識には結びつかない。子供にとって、現段階では関係ない話なのだから当然だ。 

子供は、将来のために勉強しているのではなく、現時点でやらなければならないからしている。将来のために生きているのではなく、今生きている。その点でも、考え方のギャップはある。
 
それでは、『なぜ、勉強しなければならないのか』と聞かれたら、親として、どう答えられるだろうか。ひとつ言えることは、大人になると、まとまって勉強する機会はほとんどないということ。勉強は、今しかできないと伝えることはできる。

好きな勉強も、嫌いな勉強も、今しかできないと思えば、何もしないのは何やらもったいない、しないと後悔するような気がしてくるもの。そんな気持ちを感じさせることができれば、少しは勉強してくれるかもしれない。してくれなかったとしても、今という時間の大切さくらいは、感じてくれるかもしれない。

タグ:勉強
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逃げ方にもいろいろある

学校、職場に限らず、家庭でも、何かに対して、『逃げる』という選択肢はあるが、それを選ぶと、白い目でみられたり、怒られるんじゃないかと思い、なかなか選ぶことができない。

『逃げるが勝ち』という言葉もあり、どこか卑怯な、負け惜しみのようにも聞こえ、イメージも悪く、カッコのいいものではない。では、絶対に逃げてはダメかといえば、そんなことはない。

『三十六計、逃げるに如(し)かず』ということわざがある。中国の南北時代の戦いがもとになっているのだが、多くのはかりごとがあるが、迷うんだったら、逃げて再起をはかるのが得策という意味。これ以上はダメだと思ったら、逃げて出直すのも1つの方法。
 
真面目な人に限って、どうにもならなくなり、自殺してしまう人がいる。自殺に比べれば、逃げることは簡単に選べるはずだが、自分で絶対にしてはいけないと追い込んでいるため選べない。

1つのやり方しかないと思い込むから追い詰められてしまう。しかし、どんなことでも、やり方は1つではない。自分が、これ以上できないと思うなら、自分にもできる別なやり方を探し、試してみればいい。もし、そのやり方がなければ、自分で考えたって悪くない。

なんでもかんでも、やみくもに逃げれば、やる気のない、卑怯者と思われても仕方ない。しかし、これ以上は出来ないと判断し、最悪の事態になるくらいなら、時期をみて出直すと心に決めれば、逃げても決して悪くはないはず。

あっちへぶつかり、こっちへぶつかり。真っ直ぐな一本道よりも、くねくね曲がった道を歩いている方が、人間らしくて魅力的じゃないか。

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やらされるより、やってやろう

真面目な人に限って、追い詰められることはよくある。学校や職場など、仕事を押し付けられたり、断りきれなかったり、自分の意思とは反対に、無理していろいろやってしまう。損な性格といえるかもしれない。

やらされていると思うと、利用されている気になり、面白くない。なんで、私だけこんなことしなければならないのかと。しかし、この仕事、やって得にならないかというとそうでもない。

誰もが嫌がる仕事は、適当にやってしまっても、やりたくないのは分かっているのだから、そんな状況が予想されており、評価はそれほど低くはならない。

逆に、積極的にやればどうなるか、高く評価される。もともとの出発点が、やりたい人はいないというところから始まっているのだから、やる気が感じられれば、予想外の展開で目立ち、他とは違うと評価される。

自分がやりたいと思うことに関しては、やる気が感じられる分、高い結果が要求され、やる気があるのに並みの結果では、期待はずれということになってしまう。しかし、誰もが嫌がる仕事は、その時点で、評価のハードルは低くなっており、そこそこの結果でも高く評価される。期待されてない分、期待以上を取りやすい。

なんでも、やらされていると思えば、面白くなく結果もついてこない。しかし、今回は分が悪くてもやってやろうと思えば、次の展開が期待できる。人との違いが評価につながると思えば、どんなことに対してもやる気はでるんじゃないだろうか。
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