罪悪感より、活かせばいい

昔、こんなことしてしまったと、何年も前の過(あやま)ちを今でも思い悩む人がいる。恥ずかしさ、情けなさから、自分を非難し、強い罪悪感になるのだが。
 
何かに打ち込んでいるとき、忙しいときにはすっかり忘れていることも、ふと、時間があったり、それを思い出す何らかのキッカケから、途端に酷い過去がよみがえる。
 
罪悪感があまりに強いと、自分を物理的に傷つけてしまうこともあり、いたたまれない状況から、他人へのやつ当たりにより、さらに罪悪感がふくらむという悪循環もある。

罪悪感は、真面目な人、正義感が強い人、完璧を求める人などが強く感じるもの。自分は、こうであってほしいという理想があるから、それに反することが許せない。

理想を持つことは、素晴らしいことで、何もない人に比べ、自分なりの生き方のスタイルを持っている。だからと言って、生き様に一点のくもりもないというのは無理な話。
 
過去の過ちに思い悩むのは、それを思い出すことができるからで、もしかすると、思い出せない記憶の奥底に、もっと酷いことがたくさん眠っているかもしれない。
 
過ちがたった一つと思うから、強い罪悪感を感じるが、思い出せないだけでたくさんあると思えば、自分自身をそういうこともあるさと許さざるを得ないはず。

同じようなことをしても、罪悪感どころか、全く覚えていない人が、世の中にはごまんといる。
 
罪悪感で自己嫌悪になり、悩まされるくらいなら、過去は過去と区切りを付け、今後に活かすと割り切る方が、大事だし自然だ。
 
神様でもない限り、過ちのない過去などありえず、過去を塗り替えることも誰にもできないのだから。
タグ:罪悪感
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