なぜ、勉強しなければならないのか

学生にとっては、なぜ、勉強しなければならないのか?と聞かれれば、答えに困る大人は多い。勉強しなさいというのは簡単だが、勉強したくなるように感じさせるのは難しい。
 
将来の目標として、なりたい者があり、そのために勉強が必要であれば、勉強へのモチベーションは保てる。ただ、そう誰もが、なりたい者があるわけはない。むしろ、なりたい者がない方が大半ではないだろうか。
 
勉強というと、いろんな教科があるが、好きな教科はごく一部、それ以外は、興味がないもの、苦手なもの。好きな教科、嫌いな教科にかかわらず、どんな教科でもいい点が取れれば気分はいいが、簡単に点が取れないのも確か。 

親として、勉強しなさいとよくいうが、では、過去に勉強したであろう親が、子供の宿題を解けるかといえば、小学生ぐらいならどうにかなっても、中学、高校となれば、考えたり、頭を悩ませるはず。自分ができもしないのに、『勉強しなさい』と上から言っても説得力はない。

そこで、大人になって振り返れば、学校で学んだことが、実際の社会でどれほど役に立っているか、直接的にはそれほど役に立つものはない。では、全くのムダかといえばそうでもなく、勉強することで、問題を解決するための忍耐、考える力は養われる。

しかし、そのために勉強しなさいでは、結果として、そういうものが備わるだけで、それを理由に勉強するという意識には結びつかない。子供にとって、現段階では関係ない話なのだから当然だ。 

子供は、将来のために勉強しているのではなく、現時点でやらなければならないからしている。将来のために生きているのではなく、今生きている。その点でも、考え方のギャップはある。
 
それでは、『なぜ、勉強しなければならないのか』と聞かれたら、親として、どう答えられるだろうか。ひとつ言えることは、大人になると、まとまって勉強する機会はほとんどないということ。勉強は、今しかできないと伝えることはできる。

好きな勉強も、嫌いな勉強も、今しかできないと思えば、何もしないのは何やらもったいない、しないと後悔するような気がしてくるもの。そんな気持ちを感じさせることができれば、少しは勉強してくれるかもしれない。してくれなかったとしても、今という時間の大切さくらいは、感じてくれるかもしれない。

タグ:勉強
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